轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
連歌師のみならず龍翔院右府公敦のごときを始めとして公家等のたよって行ったのもある。『平家』を語る琵琶法師等もはるばる中国下りしてその眷顧を受けた。実隆が大内政弘のために、いろいろ書写してやり、あるいは銘を書き、周防浄光寺のために朝廷に取り持ちて、灌頂開壇の特許を与え、宗祇の勧めによって長門住吉法楽万首の奥書を書し、殊に用脚に関する場合に、宗祇と相談のうえ書状を発している。されば実隆と大内家との間を親密ならしめたのは、宗祇の居中周旋によるものだとも考え得られるのである。実隆のために金策の秘計をめぐらした者は宗祇のみではないけれど、その方面においての宗祇の尽力は、決して少小でなかった。実隆に書いてもらった扇子をば、宗祇はあるいは実隆のための金策の便宜上、これを他に贈遺したかも知れぬ。少なくも実隆が宗祇に書いてやった扇子は、間接に自分の家計を補う因となったのだ。大晦日に扇子を書かされたとて、あまり苦情をいうべき筋でもない。これを日記に書したのは、一時むっとしたからで、実隆もまたこれらのために宗祇に対し永く不快の念を懐いたのではないようである。
宗祇はもと身体壮健であったけれど、寄る年波の争い難くて、明応五年のころから、耳聾し治し難く、その他にははるかに衰弱を見ざりしも、明応の末年より越後に遊び、立居のようやく