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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

意のごとくならぬを感じたれば、臨終のまさに近からんとするを覚り、少しにても都近き所に移らんとしたるをもって、宗長ら聞きてこれを伴い帰えりしに、文亀二年の七月二十九日というに遂に相模の箱根で入滅した。この報が京都に達し実隆の耳に入ったのは、それから約一か月半あまりの九月十六日で、宗祇の弟子玄清が来たり告げた。実隆大いに驚いて「驚嘆取喩に物なく、周章比類なきものなり」と記している。さて宗祇のすでに歿した後は、『古今』の伝授ひとり実隆によるのほかはないというので、玄清のごときは、この年の末に、実隆の教えを乞うた。実隆やむを得ずこれを承諾したが、いかにせん実隆所持したところの聞書をば、ことごとく焼失したために、大概のみのほか諮問に答うることができなかった。宗祇の忌日は、歿後も斯道において永く記憶され、時としては遠忌の実隆邸に催さるることもあった。また当時一般の習いとして、宗祇の影像が幾通りも画かれ、宗碩の宗祇像には、実隆の取次によって、宜竹和尚これが賛を書した。しかしながら多くの人は、宗祇の後継者たる実隆の賛を望むので、実隆はあるいは己れ賛を草してこれを書き、あるいは宗祇の句を賛語に擬して書いたこともある。