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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
まだ以上のほかに足利時代の交通を論ずるにあって忘れてはならぬことは、当時の交通は陸よりも海を主としたということである。徳川時代からして以来陸上の交通が安全になり便利になったその状態に馴致し、その旅行に際しては、主として鉄道によりて海路を避け、やむを得ず乗船するとしても、いわゆる聯絡航路なるものを採って、なるべく乗船時間を短縮せんとする現在の日本人は、徳川時代以前の交通に関してややもすれば誤れる考えに陥りやすく、当時の田舎人が京都に往来するには専ら陸路により、あたかも徳川時代の関西と江戸との間の往来が五十三次を伝わったごとくに、つねに長亭短亭を一々に経過しつつ旅行したものの様に考えむとする。換言すれば五畿七道という建制順序に過重の意義を付し、京都からして東海、東山、北陸、山陰、山陽の五道に進発するのには、国尽くしに挙げてあるような順序で国々を通り貫いたものと合点したがる。かように考えれば、なるほど東山時代に交通の障碍が到る処に横わり、いかに強い力のある文明でも伝播ができず、日本の大部分が暗黒に想像されるのも無理はない。しかしながらかく想像したのでは、大内家と京都との関係のごときはまったく説明のできぬことになる。