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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

千世松のことはつまびらかにわからぬが、少なくとも弥次郎は譜代の奉公人ではなかったらしい。

上述のごとき家族と上述のごとき使用人とを有した実隆の家計は、いかにして支えられたか。先ずその領する荘園からして説こう。三条西家の所領は各地に散在しておりその最も近くに在ったのは、山城に在るもので、桂新免、石原庄、塔森庄、鳥羽庄。この四つはみな桂川に沿うている。美豆御牧、あるいは単に御牧、これは河を隔てて淀と相対している。それからして富森、三栖庄これは伏見の西南に在る。これらの所領からして得る収入は、石原庄で麦若干、米一石前後、地子月別五十疋くらい、塔森からは月別銭で少ない時は七十疋、多い時は百五十疋くらい、一か年一貫七百文納入になったことがあるが、それは大永五年のことであるからして、それ以前にはいま少し収入が多かったろうと思う。鳥羽庄は文明十一年に中沢重種をもってその代官職に補したと記してあるが、この中沢は鳥羽庄のみならず石原塔森等をすべて管理しておったことがあるらしい。この庄の収入は、つまびらかにし難い。ただ西園寺家と共同にこの鳥羽庄の領主であったらしく、畠山の被官人とこの荘園を争い、訴訟に及んだ時には、西園寺家と連合してこれに当り、本所の方が勝利を得たから、使者をもって互に祝著同心の旨を告げたとある。