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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

しかしながら、共に同一庄園の主であるところから、時として争いも起こる。荘園の住人鳥羽新三郎の闕所作分につき、西園寺家の方よりして押妨をしかけたから、重種が西園寺家へ出向き、先方の家職と談判していい伏せたとある。富森は麦の収納があり、地子は大永五年の年末に二十疋とあるからあまり多くはなかったろう。富森から川岸に沿いてさかのぼれば、三栖庄になる。この庄は三条家の古くからの所領で、正親町三条家からして分れた時に、これを分領することにしたものらしい。代官としては日記永正元年の条に、山本太郎左衛門という名が見え、塔森の侍なりとしてある。この三栖に上下の二つあるが、上は正親町三条家の手に残り下は西家に伝った。日記明応五年四月の条に、東隣すなわち正親町三条家から三栖庄内で鷹にとらしたという青鷺をもらった記事がある。この三栖の所領からも米と麦とがとれた。この麦をば祇園因幡堂に施入するのが、三条家の嘉例ということになっている。三条家に限らず、当時京洛の士民はみなこの因幡堂の薬師を信仰し、祈願を籠めたものであるが、わけても実隆のごときは、尊崇すこぶる厚かった。しかしてかかる施入に対し、因幡堂からは、年々香水を三条家に送ることこれまた例になっておったのである。