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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ
東山時代における一縉紳の生活
原 勝郎
「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页
の慰めがあったのである。
実隆が侍従として朝夕に禁闕に出入し、ますます眷顧に浴することが深くなるにつれて、時々の賜わり物も、他にすぐれて多かったようである。毎年灰方の御料所からして年貢米が納まると一俵を実隆に賜わることがほとんど恒例のようになっており、実隆の方からは、年々の嘉例として六月に瓜を進上した。この瓜はその領地なる御牧からして持参するのであるが、延徳三年のごときは、この美豆御牧が水損で瓜もとれぬ。しかし嘉例である瓜を進上せぬも残念であるというので、人を京都中に走らし、瓜を求め出して献上した。ただしいつもならば親戚知者にも配るのであるけれど、この年はそれだけは見合わせたと日記に見えている。実隆はまた庭に葡萄を植えたとみえて、延徳元年の八月にこれを始めて禁裏に献上しているが、ちょっとわからぬのは、庭の榎の樹を斫って薪にした時に、三把を禁裏に進上していることである。薪三把の献上はいかにもおかしいが、これをも差し上げるくらいならば、けだしほかにもいろいろなものを献上しただろうと思われる。
かくのごとくしていやが上に濃く成り行く宮廷と実隆との間は、一は実隆の姻戚関係にも基いているのである。