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ひがしやまじだいにおけるいちしんしんのせいかつ

東山時代における一縉紳の生活

原 勝郎

「藝文」京都大学文学部、1917(大正6)年8月号~12月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 69,142 字 · 134 页

青空文庫

任ぜられたのは二月の五日で、在職わずかに二か月、任大臣の拝賀をも行なわないで四月五日に致仕した。時に年五十四、実隆が引退すると、その翌年に公条が参議になり、従三位に叙せられた。実隆の希望どおり、相続がめでたく行なわれたのである。

致仕後の実隆は望みを官場に絶ったから風流三昧に日を暮らした。永正十二年に従一位に叙せらるべき勅定があったけれども、固く辞し奉り、翌永正十三年春の花が散ると間もなく、四月の十三日というに、照雲上人を戒師と頼んで盧山寺において落飾し、法名堯空、逍遙院と号した。後世永く歌人の間に尊ばれた逍遙院内府の名は、これからして起こったのである。実隆は致仕以前からしばしば異様の服装で外出をしたもので、嵯峨の先塋に詣ずる時などは、三衣種子袈裟をもって行粧となしたとある。いかなる服装かまだ調べては見ないが、「十徳の体」と自分で日記に認めているから、大抵は想像される。実隆はこれ家計不如意のためにやむを得ずやった服装だといっているけれど、一には彼の好みでもあったらしい。日記永正五年六月十八日の条には、夜一条観音に参詣するのに、山臥の体をしたとある。