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まつばやしへんや

松林蝙也

山本 周五郎

「キング」大日本雄弁会講談社、1938(昭和13)年1月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,092 字 · 25 页

青空文庫

やってみよう、――たとえ、鬼神のごとく強いとはいえ蝙也も人間である、付狙って油断の無いことはあるまい。

――きっと、きっと。

町は固く決心した。

蝙也が寝所へ入るのは毎晩十時と定まっていた。寝所は中庭に面した端れで、町はそのひとつ置いた次の部屋に起居していたから、蝙也の鼾は筒抜けに聞えてくる。――その夜は何もせずに寝たが、明る晩から町は寝所を離れず付狙った。しかし思ったほどそれは易しいことではなかった。鼾の声を充分に聞澄まして、跫音を忍ばせ息を殺して近寄る、襖へそっと手をかけようとするとたんに、ぴたりと鼾が止まるのだ。

――あ、気付かれた。

と思って襖から手を放すと、すぐに鼾が始まるのである。ややしばらく経ってから、

――もうよかろう。

と手を出しかけると、ぴたっと鼾が止まる、まるで見ているように正確であった。

こんなことが幾晩も続いた。ほとんど毎夜眠らないので、四五日経つと町はすっかり疲れてしまった。――物音ひとつ立てずに忍寄るのがどうして分るのか、あるいは蝙也も眠らずにいるのではないか、そう疑ってもみたが、夜が明けると四時まえに起きて、元気いっぱいに終日稽古をするところを見ると、微塵もそんな様子がないのである。