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まつかぜのもん

松風の門

山本 周五郎

「現代」大日本雄辯會講談社、1940(昭和15)年10月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,862 字 · 26 页

青空文庫

それでいながら、宗利は最も多く彼を相手に選んだ。小次郎にはどこかしらそういうような、人を惹つけるところがあったのである。江戸邸に移る前年の夏、宗利は彼に剣術の相手を命じた。彼等は二人きりでこの曲輪の草地へ出て来て、袋竹刀で烈しく打合った。体力に勝れていた宗利は、そのとき小次郎を思うさま叩き伏せてやる積だったが、相手は巧に鋭鋒を避けて逃げ廻った。宗利は苛だち、遂には法もなにも無く打掛っていった。小次郎は避けきれずとみたか、遽に構えをたて直して向って来たが、そのとき彼の袋竹刀の尖が強たかに宗利の右の眼を突いた。宗利は悲鳴をあげながら、両手で眼を押えて草地へ転げた、指のあいだから溢れ出る血が半面を染めた。いまでも宗利は歴々と覚えている。小次郎は白く乾いた唇をあけ、空洞のようになった眼を大きく瞠いたまま立辣んでいた。それは痴呆のような顔であった。日頃の俊敏な、いかにも犀利な表情はあとかたもなく消え、恐怖悔恨にうちのめされて、ほとんど白痴そのままの顔つきをしていた。

――黙っているんだぞ。宗利はそのとき彼に命じた。――転んで傷をしたことにして置くから、其方がしたということは口外してはならぬぞ。