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うめづしえんおうでん
梅津只円翁伝
杉山 萠円
「福岡日日新聞」1934(昭和9)年4月14日~5月31日
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 65,582 字 · 130 页
老夫人が能の前日、広袖の襦袢に火のしをかけて襟を附け換えて御座った。
◇
稽古を離れると翁は実になつかしい好々爺であった。地獄の鬼から急に極楽の仏様に変化するのが子供心に不思議で仕様がなかった。たとえば八十八賀の時、能のアトで、
「元気は元気じゃが、倅の方が先にお浄土参りしてしもうた。クニャクニャになって詰まらん」
と云って門弟連中を絶倒させた。それから赤い頭巾に赤い緞子(であったと思う)のチャンチャンコを引っかけて、鳩の杖を突いて、舞台の宴会場から帰りしなに、
「乳の呑みたい。乳のもう乳のもう」
と七十歳近い老夫人に戯れたりした。
◇
「さあ飴を食うぞ」
と翁が云うと老夫人が、大きな茶碗に水を入れたのを翁の前に捧げる。翁はそれに上下の義歯を入れてから水飴やブッキリ飴を口に抓み込んでモグモグやる。長い翁の顔が小田原提灯を畳んだようになるのを小謡組の少年連が不思議そうに見上げていると、
「フムフム。可笑しいのう」
と云って翁自身も笑った。
しかしその飴を分けてくれた事は一度もなかった。喰い余りを旧の通り叮嚀に竹の皮に包んで老夫人に渡すと、茶碗の中の義歯を静かに頬張って、以前の厳格な顔に還った。