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くすのきのはなし

楠の話

豊島 与志雄

「文章世界 第拾四卷第四號」博文堂、1919(大正8)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 10,820 字 · 22 页

青空文庫

父の言葉をきいて、自分が今迄自ら識らずに感じていた気持ちがはっきり頭に上って来た。私は別に驚きもしなかった。ただ父のその言葉の調子が、私の心を喫驚さした。私は何とも答えないで父の顔を見守った。然し父はそれきり何とも云わなかった。母も黙っていた。父も母もいつのまにか、私と同じような気持ちに浸り込んでいたらしい。

然し愈々その日が来た時、私は胸の底から何とも云えないものがこみ上げて来た。

いつも見える楠の高い茂みが無くなって、村の木立の間にそこだけぽつりと穴があいてるのを、学校の帰りに遠くから認めた時、私は自分の胸にもそれだけ穴があいたような気がした。それで友達を置きざりにして家に駈けて帰った。家に着くと息が喘いでいた。私はそれを押し隠して、二階の室に上り、一人で泣いた。父母の前に本当の心を押し隠し初めたのは、それが最初だった。

楠に斧を当てる音が遠く響いて来た。何とも云えない淋しい音だった。初めは、わくわくしてる私の胸にそれがじかに響いて来たが、泣いてるうちに、それも夢のような一種の安らかさに包まれてしまった。私は自分でも知らないまに泣き止んで、ただぼんやりその響きに耳を傾けていた。