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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

「ええ」と彼は呻いた、「面倒だ」

そして椀を力いっぱい投げつけ、前にある膳を手でひっくり返した。椀は壁に当ったらしい、こつんという音がし、放りだされた皿小鉢が荒あらしい音を立てた。そこへ、廊下を小走りに来る足音がし、女が若い男を二人伴れてはいって来た。

「この人、まあ、――」と女が叫んだ、「ごらんよ、こんなひどいことをして」

「野郎」と一人が云い、他の一人が「まあ待て」と制止した。

「お侍さん」とその制止した若者が云った、「おまえさんこんな乱暴なことをして、この店になにか意趣でもあるのかい」

六郎兵衛は黙ってい、男の一人が横へまわるのを、けはいで感じとった。

「ここは神田だ」と同じ若者が云った、「お膝元でもいちばん気の荒い土地だ、へんなまねをすると侍だって容赦はねえ、半殺しのめにあわされますぜ」

「なにも意趣などはない」六郎兵衛はふるえながら云った、「俄かめくらのうえに勘が悪くて、つい手がすべったのだ」

「野郎」と横のほうでべつの若者がどなった、「この野郎、しらばっくれるな」

「待てよさぶ」とまえの若者が押えた、「相手はめくらで手がすべったと云ってるんだ、そうでしたねお客さん」