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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

と甲斐は云った、「御威勢なみならぬ厩橋さまはじめ、閣老諸侯多きなかにも、この美酒を差上げ、味と香を篤と味わって頂きたいのは、大和守さまごいちにんでこざいます」

甲斐は両手を膝に置いて、静かに大和守の眼をみつめた。大和守広之はその眼を見返した。甲斐の眼は静かだったが、大和守の視線には、相手の心を読み取ろうとするような、一種の力がこもっていた。

「うん」とやがて大和守は云った、「この酒の味と香りは珍重だ、これを味わいながら話しを聞くとしようか」

「おそれながら、お側衆の耳には聞き苦しいこともあるかと存ぜられますが」

「人払いが所望か」

「私は構いませぬ、けれども、話しの中にはお側から好ましくないと、お差止めの出るようなものもございますので」

亀谷が咳をした。

「清左衛門、さがっておれ」と大和守が云った、「呼ぶまで来てはならんぞ」

亀谷はためらったが、大和守は「さがっておれ」といってきかなかった。

亀谷清左衛門は甲斐を見た。甲斐は差していた脇差をとって、清左衛門に渡し、清左衛門は立って、廊下に控えていた若侍とともに去った。――庭のほうからかすかに風が吹き入って来、燭台の火がゆらめいた。