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もみノきはのこった
樅ノ木は残った
山本 周五郎
04 第四部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页
番の者は水を汲みかけたまま、そこに立って見送っていた。弥兵衛は首を振りながら、いそぎ足に近よって来た。
「やはりだめだ」と弥兵衛は立停って云った、「ずいぶんねばってみたがいけない、却ってこんなことを他にもらしたというので、こっぴどく油をしぼられたよ」
玄四郎は唾をのんだ、「しかし」と彼はかすれた声で訊いた、「やることは、やるのでしょう」
「もうその時刻なんだ」
「見ることだけでもできませんか」と玄四郎は云った、「私はいちど太田さんの太刀さばきが拝見したかった、しかも今日は真剣でしょう、近くでとはいいません、はなれたところからでも結構ですから、貴方の太刀さばきだけでも拝見させて下さい」
「むりを云うな」と云い、弥兵衛は踵を返して歩きだした、「それでなくても怒られたばかりなんだ、まあ諦めてくれ」
玄四郎は追っていった、「だが仕手に加えてもらうのではなく、隙間からでもいい、ただ見るだけなんですから」
表て座敷へゆくみちさえわかればよかった。士分には取立てられたが、むろんまだめみえ以下のことで、表て座敷へはあがったことがないし、各役所の並んでいる建物から、杉戸口を御殿へはいった向うはまったく不案内といってよかった。