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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

04 第四部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 145,078 字 · 285 页

青空文庫

と甲斐はゆっくりと云った、「それだからこそ、一管の笛に生涯を賭けることもできるのだろう、――おまえは道にとりついた、それは一生をうちこむに足る道であろう、力をゆるめずに、死ぬまでが修業だと思ってあせらずにゆっくりとやれ」

新八は頭を垂れた。張っていた肩がおち、昂然とした姿勢が、やわらかくほぐれるようにみえた。

おくみが戻って来、すぐに女中が二人の膳をはこんで来た。

「みや、酌をしてやれ」と甲斐はくだけた口ぶりで云った、「遠慮は無用だ、そこで二人で飲むがいい」

おくみは甲斐の側に坐り、甲斐は新らしい盃を取った。新八はおみやの酌で一つ飲むと、こんどはおみやに酌をしてやった。おみやは赤くなって、恥ずかしそうに少し啜った、「宮本節は自分だけのくふうか」甲斐は一と口舐めてから訊いた。

「はい」と新八が答えた、「さる浄瑠璃太夫についたこともございますが、この節は私のくふうしたものでございます」

しかしふと思いだしたように、いえ、違いましたと顔をあげた。

「自分だけと申しては誤りです、私にくふうのつかぬところを、さる老人から教えられました」と新八は云った、「この節にはずいぶん苦心いたしましたが、どうしても要になる手がうかびませんでした、一年ちかくも練りあげ練り直しているうちに、或る夜ふと、相い長屋の一軒で誰かのうたう声を聞い