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じろうものがたり

次郎物語

下村 湖人

03 第三部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 117,781 字 · 235 页

青空文庫

しかし、ただぼんやりそんな気がするだけで、どうちがうのか、それをはっきりさせる手がかりはまるでつかめなかった。彼は、ただ、何度も何度も、掛軸の文字に眼を光らせるだけだった。

「おや、きょうはたったお一人?」

奥さんが、いつの間にはいって来たのか、次郎のすぐうしろから、声をかけた。次郎はびっくりしたようにふりむき、体を横にねじってお辞儀をした。

「なに読んでいらしたの?」

「これです。」

「ああ、良寛上人、――それ、あたしもついこないだ読みましたわ。いい本ね。面白かったでしょう。」

「ええ。」

「あの掛軸、良寛の歌ですわ。読めて?」

「昨日、佐野さんに教わりました。」

「そう? あの額の方は?」

「字の読方だけ教わったんです。」

「意味は自分で考えてみるんだって、言われたんでしょう。」

「ええ。」

「考えてごらんになって?」

「まだ、あまり考えていません。」

「考えようにも、ちょっと、どう考えていいかわかりませんわね。白い鳥が芦の花の中にはいるって、ただそれだけなんですもの。禅の文句なんて、まるで謎みたいなものですわ。」

次郎は、世間で、わけのわからぬ言葉を禅問答みたいだ、というのを、これまでよく聞いたことがあったが、こんなのが禅の言葉かな、と思った。