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じろうものがたり
次郎物語
下村 湖人
05 第五部
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 200,443 字 · 398 页
かれの心には疑惑の嵐が吹きはじめた。これまで胸の底ふかく培い育てて来た「歎異抄」の魅力が、それで根こそぎになるというほどではなかったが、その枝葉の動揺はかなり激しかった。かれはせっかちに、ページを先にめくり、またあともどりした。しかし、どこにもかれの疑惑を解く鍵は見つからなかった。それどころか、かれはただ親鸞にあざけられるような気がするばかりだったのである。
火鉢の火は小さくなっていて、さすがに寒さが身にしみた。次郎は、「歎異抄」をばたりと閉じ、それを本立てに立てると、事務室に行って、ストーヴのそばの椅子に腰をおろした。事務室には給仕の河瀬もいなかった。
柱時計を見ると、もう十一時を二十分ほどすぎていた。かれは、昼ごろには田沼先生が見えることを思い出し、走って炊事室に行き、中食の用意を臨時に一人分だけ加えておくように頼むと、またすぐ事務室にもどって来た。そして、いきなりストーヴの火をかきまわし、それに、石炭を何ばいもつぎたした。変にめいるような、それでいて何かしないではいられないような気持ちだったのである。
そこへ、朝倉夫人がはいって来た。ふだんは、美しくひらいた眉根が、引きつるように、よっていた。