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しまでをかたる

死までを語る

直木 三十五

「話」1933(昭和8)年9月号~1934(昭和9)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 42,739 字 · 85 页

青空文庫

私の本名は、植村宗一で、植を二分して、直木と匿名にし、当時三十一であったから、直木三十一、翌年三十二と、一目上りに変えてきて、三十五で止めたのであるが――この与一兵衛は、大和国箸尾村の土豪であった。与一という名から考えて、十一番目の子らしいが、その時分、それ程正確に、名をつけていたか、何うか分らないから、断言はできない。那須の与一、真田の与一、十から一つ出るので、十一男には、与一とよくつけるのが習慣である。

高取城々主も植村というが、それなんぞと、関係があるかもしれぬ。天正年間、筒井順慶が、織田信長の命によって、大和を平定した時、順慶と戦って討死した。墓が残っている。

それから、何代か後になって、東本願寺の家老となった。下り藤の紋のついた鉄砲が、それを物語っている。それから、植村常右衛門の代になって、郡山藩の侍講になった。相当尊敬されていたと見えて、年に一度の、煙火の催しの時に、殿様が郡山から、常右衛門が、反対側から、煙火見物の橋上へ、同時に現れて、挨拶をし、それから、打揚げにかかったのだと、よく父が語っていた。

この常右衛門が、私の父の父で、私の父は、三男として生れ、長子常太郎は、本家を継ぎ、次子は亡くなったが、父の弟も健在である。