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しまでをかたる

死までを語る

直木 三十五

「話」1933(昭和8)年9月号~1934(昭和9)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 42,739 字 · 85 页

青空文庫

丁度、それが、維新の変乱の時で、この程度の家は、傾く一方で、私の父惣八は、とうとう天保銭を三枚もったきりで、大阪へ出奔してしまった。それから、大丸屋呉服店へ奉公して、番頭になったが、何か熱病で、夢中の内に、情婦に逃げられたりして、店も面白くなくなったのであろう。大丸での智識を基として、古着屋になったのである。父は、よく今でも云うが

「大野の植村と云うたら、大和の人で、知らん人あれへんで」

という自慢は、本当らしく、一族には、富家が相当にある。この父の所へ、母が

「大野の植村の息子」

というので、嫁に来たのであった。来てみると、店先には「ぱっち」(股引の事)二三足と、汚い古着が、四五枚釣ってあっただけだったので、びっくりした。と、よく話していたが、これが、そもそも貧乏の始めである。

母の家は、大和の国の安堵村の下長で、藍と、木綿とを商にしていたらしい。幼少の時、父が死んで、その弟が、時代の衰勢と、自分の怠惰とから、すっかり、身代をつぶしてしまったらしく、後に、筆墨行商人になって、私の家へ、よく来たが、くると、母に叱られて、よわっていた。

池のある大きい、広い山があったし、馬がいつも、五六頭店先にいたと、母が話しているから、相当の商家であったのであろう。