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しまでをかたる
死までを語る
直木 三十五
「話」1933(昭和8)年9月号~1934(昭和9)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 42,739 字 · 85 页
三
この母に、一人の弟があった。養子に行って、新井姓を名乗り、孝次という名であったが、これが秀才で、大阪谷町の薄病院の院長、大阪府会議長の薄恕一氏と、親友であり、早世して、非常に惜しまれたが、その為、この薄氏と親しくなり、殆ど育つか、育たぬか分らなかった私が、とにかく、四十三まで、生きて来られたのは、この人が居られたからである。
私の宗一という名は、鹿児島の、貴島清(西南役の雄将)の息子さんで、名は忘れたが、軍医の人がつけたもので、私の弟の清二というのは、この薄恕一氏が、名づけ親である。
私は、父が四十の時に生れた子で、母は嫁入してから、八年目である。もう無いものと、諦めていたのが、出来たから、ひどく喜んだらしいが、病弱で、育つか、育たぬか分らなかったらしい。だから、いつも家の中に、じっとしていて、初めて、幼稚園へ行った時など、一人、運動場の隅に立っていて、何んと云っても、人の中へ入らず、母は、心配して、泣いたそうであるが、それが、こういう風に、図々しくなるのだから、おもしろいものである。
生れた所は、大阪市南区内安堂寺町二丁目であるが、今、そこは、電車路になっている。