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ははのじょうきょう

母の上京

坂口 安吾

「人間 第二巻第一号」1947(昭和22)年1月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 16,655 字 · 33 页

青空文庫

その一徹な怒る心や叱る声をなんできかねばならぬのか。それを手もなく、だまして、言ひくるめて、砂をかむやうな不快な思ひをなぜしなければならぬのか。

だが、生来小心者の夏川は、別して母に就ては小心だつた。母に会ふその一瞬時が何よりも辛いやうに思はれる。四十の彼の心の中に今なほなまなましくうづく苦痛は七ツの彼とすこしも違はぬ。胸にあふれでる想念は子供の頃母に叱られたその怖しさばかり、七ツの恐怖をどうすることもできないのである。

「ヒロさん。君はおふくろが生きてゐるのかい」

「いゝえ。あたくしは木の股から生れましたのです」

ヒロシは冷然と言つた。

その晩、夏川は例の親友の蒲鉾小屋のオデン屋を叩いて徹底的に飲んだものだ。尤も彼が徹底的に飲むのはこの日には限らないので、母の幻を洗ひ流すに特別多量のアルコールが入用だといふわけではない。親友のオデン屋がつまりこの日は同情ストライキといふ奴で、一緒に飲みはじめて夏川以上にメートルをあげてしまつたから、をさまりがつかなくなつただけのことだ。

このオデン屋は生国では草相撲の大関で、今もつて多少ドン・キホーテの気性があるほどだから、血気の頃は特別だ。