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からさわのいわごやのあるよのこと
涸沢の岩小屋のある夜のこと
大島 亮吉
「登高行 第五年」1924(大正13)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,010 字 · 14 页
それは実によく晴れわたった、穏な夏の夕だった。眼のまえの屏風岩のギザギザした鋸歯のようなグラートのうえにはまだ、夕雲はかがやかに彩られていた。そしてひと音きかぬ静けさが、その下に落ちていた。おおらかな夕べのこの安息のうちに山々は自分たちをとりまいて立っていた。自分たちはこれからこの涸沢のカールの底にある、自分たちにはもう幾晩かのなつかしい憩いと眠りのための場所であった、あの岩小屋へと下りてゆくところだった。自分たちの右手の高きには前穂高の巓がなおさっきの夕焼の余燼で灼やいて、その濃い暗紫色の陰影は千人岩の頭のうえまでものびていた。そしてはるかの谷にはすでに陰暗な夜の物影がしずかにはいずっていた。自分たちはそのころ漸く岩小屋にかえりついたのだった。そして偃松の生枝をもやしては、ささやかな夕餉を終えた時分には、すでに夜は蒼然と自分のまわりをとりかこんできていた。それはまたすばらしくいい夜だった。すてきに星の多い晩だった。高いこの山上をおし包むようにおおきな沈黙がすべてを抱きこんでいた。
火のそばをすてて、自分たちは岩小屋のなかから外にでた。そしてその前にあった岩にみんなおのずと腰をおろした。