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こはん

湖畔

久生 十蘭

「文藝」1937(昭和12)年5月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 24,180 字 · 47 页

青空文庫

俺は力を入れながら、

「どうだ、苦しいか。ナニ、今すぐだ。我慢しろ」

と言うと、陶は俺の方に顔を差伸べ、首を振ってニッコリした。小さな朱い唇は、俺の接吻を求めているように、震えている。俺は身の内に名状し難い劣情を感じ、あわてて陶の肉体から飛び退いた。

それを敢えてするだけの正直さがあったら、俺の半生はこれほどまでに不幸ではなかッたろう。俺の心は白け生温くなり、人を殺すには最も不適当な状態になってしまッた。俺は懐手をしながら苦い顔をしていたが、

「命だけは助けてやるが、生きていると思ってはならぬ。貴様は今日限り死んだのだ、三島の蓮月庵へ行って尼になって一生暮らしていろ。名を名乗ることも、そこから出ることもならぬ」

と申渡し、陶をひき立てて庭から湖畔へ出、ボートに乗せて深良川の方へ漕ぎだした。湖尻峠を越えさせ、深良村から三島へ落してやるつもりだッたのである。

磨き出したような十日月が涓々と湖上に照り、風は蘆荻を吹いて長葉を揺らめかす。四辺※として、聞えるものはオールの音のみ。陶は艇首に坐り、首を垂れて一言も言わぬ。俺も言わぬ。言うことがあり過ぎて、かえってなにも言われぬような心持であった。