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ちち

父

太宰 治

「人間」1947(昭和22)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 7,298 字 · 15 页

青空文庫

イサク、父アブラハムに語りて、

父よ、と曰ふ。

彼、答へて、

子よ、われ此にあり、

といひければ、

――創世記二十二ノ七

義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。信仰の祖といわれているアブラハムが、その信仰の義のために、わが子を殺そうとした事は、旧約の創世記に録されていて有名である。

ヱホバ、アブラハムを試みんとて、

アブラハムよ、

と呼びたまふ。

アブラハム答へていふ、

われここにあり。

ヱホバ言ひたまひけるは、

汝の愛する独子、すなはちイサクを携へ行き、かしこの山の頂きに於て、イサクを燔祭として献ぐべし。

アブラハム、朝つとに起きて、その驢馬に鞍を置き、愛するひとりごイサクを乗せ、神のおのれに示したまへる山の麓にいたり、イサクを驢馬よりおろし、すなはち燔祭の柴薪をイサクに背負はせ、われはその手に火と刀を執りて、二人ともに山をのぼれり。

イサク、父アブラハムに語りて、

父よ、

と言ふ。

彼、こたへて、

子よ、われここにあり、

といひければ、

イサクすなはち父に言ふ、

火と柴薪は有り、されど、いけにへの小羊は何処にあるや。