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うし

牛

坂口 安吾

「文藝春秋 第三一巻第五号」1953(昭和28)年4月1日

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,971 字 · 25 页

青空文庫

ランニングもやめたのか」

こう問いつめられると、仕方なしに彼の目から凄く大きな涙の玉がポロリところがり落ちた。彼は窮したのである。

ランニングと柔道という二ツを同時に思い浮べても羞恥に悩むようになっていた。だから、ランニングを選んだために柔道を捨てなければならないという心底を打ち開けることは絶対的に不可能であった。どっちか一ツを捨てるとすれば、たぶんランニングよりも柔道の方が泥棒泣かせに近づいているだろうというような思弁をどうして人に打ち開けることができよう。

しかし、部長は追求をゆるめるわけにいかなかった。

「ランニングはやめないのだな」

「…………」

「両立しないのか」

「…………」

「今まで両立したではないか」

何より苦しいところであった。彼は彼の叔父が村長を辞退するときに云った言葉を思いだして、釈明の辞にかりた。

「ボクもトシですから……」

「お前がトシだって!」

「ハ?」

「いくつだ?」

「息切れがするのです」

「ランニングも息切れはするだろう」

彼は唇をかんで、また大粒の涙を落した。そんな会見の結果、退部問題はウヤムヤのままになっていた。

そんなワケだから、彼は五人の学生をそれ以上追うことができなくなったばかりでなく、その地点まで思わず走り寄ったことに羞恥を感じて、とめどなく混乱してしまったのである。