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ぎせいしゃ
犠牲者
平林 初之輔
「新青年」博文館、1926(大正15)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,364 字 · 37 页
この小さな財産の上に、今村の一切の希望は築きあげられていた。郊外のどこかに、六畳一室に三畳くらいの小ざっぱりした家を建てよう、月に一度位は女房とやがてできるであろう子供とをつれて洋食の一皿も食べに出かけよう、年に一度くらいは芝居も見物したい――安月給取の頭の中を毎日のように往来するこうした小さな慾望が、今村には現実の慾望とはならずに、遠い未来の希望として、描かれたり消されたりしていたのである。ことに家を建てるという考えは、幾度び彼の頭の中で咀嚼され、反芻されたことであろう。彼の脳裡には、もう空想の自宅が、完全に設計され、建造され、建具や家具や装飾をそなえつけられて、主人を迎え入れていたのである。此の自宅は、自分の所有なのだ。家賃を払う必要がないのだ。彼には何だか勿体ないような気がするのであった。おまけに、この幸福な思想の特徴は、何度繰り返して頭に浮んできても決して、平凡な無刺戟なものになってしまうようなことはなくて、いつも、いきいきとした新鮮な姿で現われ、それが浮んで来る度びに、彼の幸福の雰囲気を濃厚にする不思議な力をもっていたことである。
二、吹雪の夜の大都会