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ぎせいしゃ
犠牲者
平林 初之輔
「新青年」博文館、1926(大正15)年5月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,364 字 · 37 页
これから私が語ろうとするエピソード、即ち彼が社会の歯車でおしつぶされた次第は、多少不自然のきらいがないでもないが、決して珍らしいことではなく、こういう人間に必らずふりかかって来る運命なのだ。もっと目立たない形で、人間の社会にざらに行われている平凡な現象の一つの要約と言えば言える位なものに過ぎないのだ。蛇足のようであるがこれだけのことを是非言っておかないと弁護士という職業に従っている私の妙な態度を誤解される恐れがあるから、ちょっと言っておくのである。
閑話休題、今村が本郷の通りを真っ直ぐに、上富士前へ出て、横町を左に折れて木戸坂の方へさしかかった時は、もう時計は十一時を大分まわっていた。
あたりに立ち並んでいるしもた家には、軒灯のついているのは珍らしい位なので、道筋は概して薄暗かった。町はずれの夜中の十二時前、しかもひどい吹雪と来ては、よっぽど差し迫った用事のある人でなければ門外へ足を踏み出す気遣いはない。一つ場所に三十分もたっていても、恐らく一人の人間にも出遇うことはないであろう。
こういう寒い晩には、今村の細君は湯豆腐をこしらえておいてくれる習慣になっていた。