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きょうげんのかみ

狂言の神

太宰 治

「東陽」1936(昭和11)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,478 字 · 31 页

青空文庫

ああ。恥かしくて死にそうだ。或る月のない夜に、私ひとりが逃げたのである。とり残された五人の仲間は、すべて命を失った。私は大地主の子である。地主に例外は無い。等しく君の仇敵である。裏切者としての厳酷なる刑罰を待っていた。撃ちころされる日を待っていたのである。けれども私はあわて者。ころされる日を待ち切れず、われからすすんで命を断とうと企てた。衰亡のクラスにふさわしき破廉恥、頽廃の法をえらんだ。ひとりでも多くのものに審判させ嘲笑させ悪罵させたい心からであった。有夫の婦人と情死を図ったのである。私、二十二歳。女、十九歳。師走、酷寒の夜半、女はコオトを着たまま、私もマントを脱がずに、入水した。女は、死んだ。告白する。私は世の中でこの人間だけを、この小柄の女性だけを尊敬している。私は、牢へいれられた。自殺幇助罪という不思議の罪名であった。そのときの、入水の場所が、江の島であった。(さきに述べた誘因のためにのみ情死を図ったのではなしに、そのほかのくさぐさの事情がいりくんでいたことをお知らせしたくて、私は、以下、その夜の追憶を三枚にまとめて書きしるしたのであるが、しのびがたき困難に逢着し、いまはそっくり削除した。