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ろうしつき

狼疾記

中島 敦

「南島譚」1942(昭和17)年11月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 23,540 字 · 47 页

青空文庫

もまた、この途を選ばせたものの一つに違いない。人中に出ることをひどく恥ずかしがるくせに、自らを高しとする点では決して人後に落ちない彼の性癖が、才能の不足を他人の前にも自らの前にも曝し出すかも知れない第一の生き方を自然に拒んだのでもあろう。とにかく、三造は第二の生き方を選んだ。そして、それから二年後の、今のこの生活はどうだ? この・乏しく飾られた独り住居の・秋の夜のあじきなさは? 壁に掛けられたあくどい色の複製どもも、今はもう見るのも厭だ。レコオド・ボックスにもベエトオベンの晩年のクヮルテットだけは揃えてあるのだが、今更かけて見よう気もしない。小笠原の旅から持帰った大海亀の甲羅ももはや旅への誘いを囁かない。壁際の書棚には、彼の修めた学課とは大分系統違いのヴォルテエルやモンテエニュが空しく薄埃をかぶって並んでいる。鸚鵡や黄牡丹いんこに餌をやるのさえ億劫だ。ベッドの上にひっくり返って三造はただ茫然としている。身体も心も心棒が抜けてしまったような工合である。日々の生活の無内容さが彼の中に洞穴をあけてしまったのか。それは先刻記憶から喚起した・あの底無しの不安とは全然違う。