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ねこぐるま

猫車

宮本 百合子

「改造」1937(昭和12)年6月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 17,310 字 · 35 页

青空文庫

待たれていたトラックが表で止ったのは、八時も少しまわった刻限であった。

「かえった!」

おさやは、片ひざ立ちかけながら声を大きくして庄平に告げた。

「お父はん、車が戻りましたで」

庄平は、低くおろした電燈の前で、先刻から落付かない眼くばりを表の気配に向けていたのであったが、おさやがそういうと、深々と首をうなずけ、いかにも嬉しそうに声を出さずに笑顔になった。大きく口をあけ、顔を仰向けるようにして笑うのであったが、笑いの輝やいているのは瞳だけで、その口元は泣くようにも見えるのであった。

「只今かえりました」

オバオール姿の正一が、軍手をぬぎながら土間へ入って来た。

「さ、すぐ湯へおいり」

正一が湯上りの若々しい胸の上に素っぽこ袷をいいかげんに着て、片足で黒メリンスの兵児帯を蹴りながら腰へからみつけつつ中の間へ出て来た時、後へのこって車を掃除し、車庫の戸じまりまでひとりで終った弟の直二が入って来た。

「かえりました」

「どうする? すぐお湯にいるか?」

「――腹が減ってやりきれん」

おさやは、ついそこに長まっているのに、弾みのある高声で、

「正ちゃん、正ちゃん」

と呼びたてた。