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せいしまんじどもえ
生死卍巴
国枝 史郎
「雄弁」1928(昭和3)年9月~1929(昭和4)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 91,598 字 · 182 页
「有難い、この部屋にも客がない」
しかしそれでも不安心と見えて、廊下に向かった障子をあけると、顔を差し出して左右を見た。
「よし」――で、引っ返し、二度行燈の側へ坐り、両手を袂から懐中へ入れた。
取り出したのは小箱であったが、真に美しい鯖色の光が、小箱の中から射るように射して、部屋を瞬間に輝やかした。
小箱の中を覗いている、老武士の顔の嬉しそうなことは!
この老武士は何者であろう?
他ならぬ松平碩寿翁であった。
それにしても何のためにこのような所へ、碩寿翁ともある人が、供も連れずに来たのであろう?
それには怪奇な事情がある。
根津仏町勘解由店の刑部屋敷の露地口で、京助という手代から、一個の品物を奪い取って以来、碩寿翁は蠱物にでも憑かれたかのように、心が絶えず動揺し、心が恐怖に襲われた。
時にはこんなように口走ったりした。
「あのお方があんな所にいられようとは! ……俺はとうとう感付かれてしまった。……俺に恐ろしいはあのお方ばかりだ。俺は体を隠さなければならない」
で、恐怖に耐えられなくなって、江戸を発足したのであった。
「長崎へ行こう! 長崎へ行こう!」