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たざきそううんとそのこ

田崎草雲とその子

吉川 英治

「文藝春秋 夏期増刊号」1932(昭和7)年

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,568 字 · 40 页

青空文庫

『そうだ、これはいつか、田崎夫婦の招きで、笹の雪へ行った晩、帰りに渡されたあれだ……。一月程たってから、思いあたることがあるから開けてくれといわれて、つい、忘れていたが、何だろう』

封を切ってみると、それが、田崎格太郎夫婦の生涯の別辞だった。

『遺書とは……遺書とは、ああ、誰も気がつかなかったろう。これは、大変だ』

と、思ったが、船は、太平洋の波を蹴っていた。

×   ×   ×

湯沢謙吉に、安田治太夫という、足利の藩士が二人、藩邸の正門を出て、雪輪小路の辻便所で、しゃあしゃあと揃って用をたしていた。

その後から、

『ちょっと、お伺いいたしますが』

と、いう者がある。

『なんだ』

用をすまして、振向くと、赤合羽を着た男が、状箱を首にひっかけて、

『この御屋敷に、田崎草雲という先生がお住いでございましょうか』

『ム、俺たちも今、先生をお訪ねして帰って来た所だ』

『どちらで?』

『その正門を入る』と、安田が、指をさして、

『――入ったら、右について、お長屋へかかると、一番東外れにある二階家だ』

『有難うぞんじます』

と、男は、飛ぶように、急いで行った。

『何だろう? 江戸飛脚らしいが』