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とめさんとそのおんな

留さんとその女

山本 周五郎

「アサヒグラフ」 1935(昭和10)年9月4日号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,799 字 · 14 页

青空文庫

留さんは通船会社の万年水夫である。

彼はもう三十八になる、蒸汽河岸きって――いや村の漁夫たちを入れても――いちばん色の黒い男だ。黒いといってあんな黒さがあるだろうか、噂によると、

「どんな暗闇のなかでも留さんの顔だけは黒く見える」

といわれている。

彼は右足の拇指がない、お人好しで、ぐずで、いつも喉をごろごろならせている、いうまでもなくそれは悪い病気のせいだ、しかし留さんには留さんの哲学があった。

「二十年も蒸汽に乗っていれば、誰だってどこかしら鳴るようにはなるべえさ」

彼は馬鹿踊りの名人だ。

留さんは三十五号船に乗っている。船長はぶるさんといわれる七十近い老人で、体の水脹れにふくれた中気病みである。そのうえもうすっかり眼が霞みはじめているので、航海の舵をとるのは無理であった。しかしぶるさんはがんとして舵機を放さない。

「おらがこの船を下りるのはおらの死ぬときだ」

と云っている。

それはそうかも知れぬ、けれど眼の霞みはひどくなるばかりで、その春だけでも三艘の漁舟を突沈めてしまった。そこで会社では――なんと物分りのよい人たちであろう――留さんにある役割を与えた。