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とめさんとそのおんな
留さんとその女
山本 周五郎
「アサヒグラフ」 1935(昭和10)年9月4日号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 6,799 字 · 14 页
「まあ一杯呑め、ぎ州」
誰かが酒を注いでやる、ぎ州は右足の爪尖で床板をとんとん叩きながら、気取ったようすで盃を呷った。
「おらあ何も云わなかった、女も何も云やあしねえ、何にも……名前を訊こうともしなかった、――ひでえ阿魔だ」
みんなは猥がましくきゃらきゃらと笑った。ぎ州の話は蒸汽河岸いっぱいに弘まった。そしてそれからというものは栗橋で一時間ばかり下船する者が幾人となく出てきたのである。なんと不道徳な者たちであろう、彼らは留さんの顔を見てはにやにや笑う。
「神さんはたっしゃかい」
と云う、「だいじにしねえとまた逃げられるだぞ、大事にしねえとよ」
「知ってるだあ、そんなこたあ」
留さんは喉をごろごろさせながら嬉しそうに答える。大事にしてるさ、あの女に間違いがあってどうするものか、そのために貯金帳は眼にみえて減っていくではないか。
留さんが栗橋に世帯をもって三月めに、その女は高浦の蒸汽河岸に移って来た。
子供の生れる当もないのに、ぶらぶら遊んでいるよりは、小商売でもする資本を拵えるほうがよい、女は二三年みっちり稼ぐつもりだと云って高浦食堂へ住みこんだのである。