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ひゃくしんのふ
百唇の譜
野村 胡堂
「文芸倶楽部」1931(昭和6)年9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 12,209 字 · 25 页
仏の前に破戒の誘い
帷子に紗を羽織って、薄化粧さえした優姿を見ると、さすがに一度は驚いたようでしたが、警戒する程の物凄い相手で無いと見たのか、そのまま招き入れる形ちに席を開きます。
「これは辱けない、御造作にあずかります」
そう言う千代之助は、もう庵室の中に上り込んで居りました。
相手が女でさえあれば、どんな事をしても、とがめられた事の無い千代之助はこんな時だけは、本当に素晴らしい勇者だったのです。
仏の前に破戒の誘い
「何んと言う静かなことでしょう」
「…………」
「お淋しくはありませんか」
「は、いいえ」
「御修業はさること乍ら、若くて美しいお方が、斯う行い浄めて居られるのは、深い仔細が無くては叶いません。御差支が無かったらお話し下さい――」
「いえ、もう」
若い尼は、顔を赤らめて俯向くばかりでした。しなやかな肉付や、美しい肢体は、墨染の法衣にも隠せず、庵室の貧しさにも輝やき渡るばかりでした。
「世を捨てられるまでには、いろいろの御物語もあることで御座いましょう。例えば恋とか――情けとか」
「いえいえそんなものは御座いません。私のは世を捨てたのではなくて、世に捨てられた身の上で御座います」