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かぐらざか
神楽坂
矢田 津世子
「人民文庫」1936(昭和11)年3月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,611 字 · 40 页
「ひとつ、元気をつけて下さいましよ」
おっ母さんがお銚子を持って上ってきた。
「そうだなあ」
と爺さんは苦が笑いをして猪口をうけている。そこへ、店で誰れかが呼んでいるようなのでおっ母さんが降りていってみると、種が息を切らしながら立っていて、
「旦那様にすぐお帰りなさるよう云って下さい!」
と、突っかかるような調子で云った。
五
馬淵の内儀さんが亡くなってからふた七日が過ぎている。
この頃、爺さんは袋町へも行かないで、終日家にこもってお位牌のお守りをしていることが多い。花の水をかえたり、線香の断えないように気を配ったり、内儀さんの好物だった豆餅を自分から買うてきてお位牌へ供えたりする。夜分もお位牌が寂しかろうとその前へ種と並んでやすんでいる。内儀さんが亡くなる前まで着ていたとんぼ絣の湯帷子が、壁のところのえもん竹にかけてある。爺さんのやすんでいるところからそれがまっすぐに眺められる。爺さんには、そこに内儀さんがつつましやかに立っていて何やら話しかけているような気がしてくる。内儀さんの声は低く徐かで、何か意味のとれぬ愚痴のようなことを云うている。