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かぐらざか

神楽坂

矢田 津世子

「人民文庫」1936(昭和11)年3月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 19,611 字 · 40 页

青空文庫

随分弱っているのさ。倉地さんの診察じゃあこの冬までは保つまい、って話だ」

「それあ、旦那も御心配なこってすねえ」

おっ母さんは爺さんの脱ぎすてた結城の単衣をたたみ止めて、いかにも気の毒そうな面をあげた。けれど、その表情には何んとなく今の言葉とはちぐはぐな、とりつくろった感じがある。

茶卓の前へ胡坐で寛いだ爺さんをみて、

「旦那、お夕飯は?」と、おっ母さんがきいた。

爺さんは大がい家で飯をすますことにしている。すんでいないといえば小鉢もののようなつきだしでさえ仕出し屋から取りつけているここの家では月末にそれだけを別口のつけにして請求してくる。目ざしに茶漬で結構間にあうところを何も刺し身で馬鹿肥りをするにもあたるまい、と爺さんは独りで勝手な理窟をつけて、その実はつけの嵩んでくるのが怖さにめったに妾宅では御膳を食べることをしない。

「いや、茶の熱いやつを貰いましょう」

「はいね」

と気軽にうけておっ母さんが梯子段を降りかけたところへお初のらしい小刻みな日和の音が店の三和土へ入ってきた。

「お帰りかい。旦那がお待ちなんだよ」

それだけを地声で云うて、あとは梯子段の下でおっ母さんが何やら内証話をきかせているらしい。