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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

13 黒白帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,638 字 · 233 页

青空文庫

昨夜といえば二月十六日。――前年の同じ二月十六日には、高ノ師直、師泰以下が武庫川堤で惨殺された。その一周忌だ。妙な符合もあるものだ、と。

「因縁。おそろしいものだな」

「因縁といえば、建武の年、直義さまが大塔ノ宮を殺めさせたのも、所はこの鎌倉だった。ここでお果てなされるとは」

衆口は、やがて言い出した。

「ただの御病死ではない」

「毒殺だ。無残な殺し方もなしえず、兄君の将軍家に一服盛られたものらしい」

こんな声が立つ所にも、尊氏と麾下の軍そのものとの内部的な亀裂が見える。直義党の残党と通じて、いつ寝返るか知れない者が、なお鎌倉の内にはいる証拠と見てよい。

尊氏はそれも知っている。彼は憔悴しきっていた。毒を呑んだのは尊氏自身であったようだ。

京都の留守も気がかりだし、外には大敵がせまっている。新田諸党のみか、北畠顕信(顕家の弟)の奥州勢も、はや白河辺まで来たと聞え出していた。

閏二月のすえ。

尊氏はついに鎌倉を捨てた。

三浦高通や二、三の武族は、はたして、内から敵を迎え入れて、尊氏を外へ追った。――尊氏は武州の神奈川へ落ちのび、船で房総へ渡ろうかとまでの覚悟をしたが、なお彼を慕ってくる軍はあとを絶たず、仁木、今川、大高、二階堂など京都いらいの将士二、三千は集まった。