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しほんたいへいき
私本太平記
吉川 英治
13 黒白帖
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,638 字 · 233 页
かつてお若い頃、お父ぎみの後醍醐の難に累せられて、讃岐へ流されてゆく途上、加古川で船を待つまに、兼好の弟子の命松丸から、ふところ飼いの仔雀をもらって、たいそう慰められたことがある。
あんなあたたかなものを、そのごの宮は、いちどもふところにお持ちになったことはあるまい。――ともあれ、その年の武蔵野合戦で、手いたく打ち負かされた秋、宮は香坂高宗らのしきりに留めるのも振りきって、飄然と、狩野介ただ一人を供に、木曾路から美濃へと旅立たれた。
おそらく、吉野へとのお心であったのだろう。けれど、途上の兵騒、とても吉野へは近づけないので、東海に出、諸国を漂泊されたのち、幾年もたって、また越後信濃にもおられたりして、地方的な小合戦に、お名をうたわれることはあったが、馬上の宮は、もうふたたび見られなかったといってよい。漂泊の旅に詠まれた一首には、
暫しだに
吹かぬ間もがな
風の上に
立つ塵の身の
在りか定めむ
という歌もあり、漂泊が宿命のような御一生だった。――晩年、「新葉和歌集」を奏進しておられるので、弘和元年、七十一歳まで寿をたもっておられたことだけはたしかだが、おかくれになった土地さえよく分っていない。