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しほんたいへいき

私本太平記

吉川 英治

13 黒白帖

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 116,638 字 · 233 页

青空文庫

だが、この日の朝は、抱きもせずに、すぐ去った。その良人の翳に登子も気づくものはあったが、だまっていた。訊かないのが、むしろ、武家家庭では慣いであった。

鶴姫のあどけない顔までが、今朝の尊氏には、なにか哀しいものに見えたのだった。それと後醍醐の死とはなんのかかわりもないはずなのに、尊氏には不気味な同じ生きものの呼吸に見えた。そして朝食もとらずにすぐ政所へ出てゆくと、そこには細川顕氏らも出仕していて、直義を中心に、異様なまでの緊張と、かくしきれない僥倖感とを、ひそひそ、ささやきあっていた。

「大御所さま。つづいての早打ちがいま入りました」

その声の弾みでも、師直がいおうとする所は、すぐ分った。

「やはり虚報でないのか」

「されば崩御は過ぐる十六日の夜と、ただいま、確たる報なので」

「そうか」

と、深くうめいたままの尊氏へ、直義もまた言った。

「もう疑う余地はございません。吉野の行宮は暗夜にともし灯を失った思いでございましょう。これにて諸国の南党も枢軸を失い、まずは天下の事も定まったといえましょうか」

尊氏は、それに返辞をしなかった。そして、まったくべつなことを、三名に言い渡した。