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しんのゆうしゅう
秦の憂愁
豊島 与志雄
「文芸」1944(昭和19)年11月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 9,389 字 · 19 页
と、突然大きく笑いだした。
酔ってるんだな、と星野は思った。だが、彼は意外なことを言いだした。
「東京を思い出した……。」
「え、東京を……。」
「銀座の四辻のことですよ。」
彼はまた笑った。
星野は投げやられた気持ちだったが、やがて、それを思い出して、愉快そうに笑った。
銀座裏の四辻は、虎ノ門事件と共に秦啓源についての双璧の逸話だった。――彼は或る時、白昼、銀座裏の四辻にふと立ち止った。空に何かちかちか光るものがあった。眼のせいか、それはすぐに消えたが、彼はやはり空を仰いだまま、自分でも意識しない想念に囚えられて、ぼんやり佇んでいた。そこは人通りもあまりない場所だった。ところが、気がついてみると、まわりには、七八人の通行人が立ち止って、同じように空を仰いでいた。彼はも一度大空に瞳をこらしたが、何も見えなかった。変な気持ちで歩きだした。暫くして振り返ると、もうそこには人立ちもなかった。それが、夢ではないのだ。
その話は、人々を喜ばした。彼等は秦啓源の人柄の大陸的風貌だなどと誇張した。秦啓源の方では、東京に好奇な閑人の多いのに苦笑した。
だが、今では、秦の笑い方は異っていた。