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ぜつえんたい

絶縁体

豊島 与志雄

「世界」1952(昭和27)年3月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 18,752 字 · 38 页

青空文庫

「あ、こちらこちら。こちらからいらっしゃい。」

表門の方へ行こうとする私を呼びとめて、市木さんは裏の方を指し示した。私は頬笑み、そしてお時儀をして、裏手の低い四つ目垣を跨ぎ越して家に帰った。

それが最初で、それからは、竹の垣根を跨いで市木さんのところへ行くことになった。仕事に倦きると、ぶらりと出かけて、縁側で無駄話をしながら、煙草を一本ふかすぐらいの時間で帰って来た。市木さんの方でも、垣根を跨いでやって来ることがあった。私の家の庭はわりにゆったりしてるといってもそう広いものではなく、市木さんの家の庭は狭っこいものだったが、時折、垣根を跨ぎ越して往き来してみると、ちょっと物珍らしい気も起って、低い垣根が却って便宜なようにも思えるのだった。

往き来するといっても、月に一度か二度に過ぎなかった。市木さんの方では、私の庭にはいって来ても、私には声をかけず、そこらをぶらついて帰っていった。私か妻かがその姿に気づいて招じると、縁側に腰を下すこともあったが、お茶を一杯飲むだけですぐに立ち上った。

私の方では、垣根を越せば、たいてい市木さんに声をかけた。市木さんは階下にいる時はいつも出て来たが、二階にいる時は、二階の硝子戸をあけて顔を出し、今は誰にも逢いたくないから失礼します、と言ってすぐに引っ込んだ。