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しぜんびょうしゃにおけるしゃかいせいについて
自然描写における社会性について
宮本 百合子
不詳
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 5,820 字 · 12 页
一種の批評家として、あるいは当時の支配的社会勢力の理論化のための活動家としての役割である。
近代工業が勃興して、大工場が増加し、そこに働く労働者とその家族の数が、この世界に殖えて来るにつれて、文学における自然はこれまでにない相貌によって描かれるようになって来た。これまでの文学とその作者の日常生活の中では目に入れられなかった大都会のはしはしの、不潔な、日夜雑沓し、工場の黒煙濛々たる労働者街の自然、激しい汗を流させる労働の対象としての自然が、その息苦しい、だがバルザックを恐怖させた底力をもって、歴史を自身の肩で押しすすめながら出現して来たのである。例えばゾラの小説に描かれているように。
自然の描写が、我が日本文学の中で、どのように推移しているかということは、われわれの深い興味をよびおこすのである。万葉集の中にうたわれている大らかな明るい、生命の躍動している自然的な自然の描写が、藤原氏隆盛時代の耽美的描写にうつり、足利時代に到って、仏教の浸潤につれ、戦乱つづきの世相不安につれ、次第に自然は厭世的遁世の対象と化した。あわれはかなき人の世のうつろいを暗示する姿として自然が文学に描かれ、徳川時代の町人文学の擡頭時代には、すでに万葉時代の暢やかさ、豊醇さは自然の描写から遠く失われ、一方に無情的自然観を伝承していると同時に