轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
おきつやごえもんのいしょ(しょこう)
興津弥五右衛門の遺書(初稿)
「中央公論」1912(大正元)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 4,491 字 · 9 页
殉死は国家の御制禁なる事、篤と承知候えども壮年の頃相役を討ちし某が死遅れ候迄なれば、御咎も無之かと存じ候。
某平生朋友等無之候えども、大徳寺清宕和尚は年来入懇に致しおり候えば、この遺書国許へ御遣わし下され候前に、御見せ下されたく、近郷の方々へ頼入り候。
この遺書蝋燭の下にて認めおり候ところ、只今燃尽き候。最早新に燭火を点候にも及ばず、窓の雪明りにて、皺腹掻切候ほどの事は出来申すべく候。
万治元戊戌年十二月二日
興津弥五右衛門華押
皆々様
この擬書は翁草に拠って作ったのであるが、その外は手近にある徳川実記(紀)と野史とを参考したに過ぎない。皆活板本で実記(紀)は続国史大系本である。翁草に興津が殉死したのは三斎の三回忌だとしてある。しかし同時にそれを万治寛文の頃としてあるのを見れば、これは何かの誤でなくてはならない。三斎の歿年から推せば、三回忌は慶安元年になるからである。そこで改めて万治元年十三回忌とした。興津が長崎に往ったのは、いつだか分からない。しかし初音の香を二条行幸の時、後水尾天皇に上ったと云ってあるから、その行幸のあった寛永三年より前でなくてはならない。