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きくちよしょう
菊千代抄
山本 周五郎
「週刊朝日春季増刊」朝日新聞社、1950(昭和25)年4月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,178 字 · 72 页
それともう一人、椙村半三郎。
「どうあそばしました」
松尾がびっくりしたようにこちらを見た。半三郎を思いうかべたとき、われ知らず声をあげたらしい。菊千代はかぶりを振って黙って、立って庭へ出ていった。
――彼は生かしてはおけない。
それからというものは、菊千代は絶えずそのことを思い詰めていた。
――どうしても彼は死ななければならない。
あの不謹慎な子が暴言を口にしたとき、半三郎は袴のままとびこんで来て、あの子を叱って突きとばし、自分を抱くようにして池から助けあげた。あのときの彼の態度には、秘事を守ろうとするむきなものがあった。……それ以来ずっと今日までの、日常のこまごました点、彼のまなざしや挙措。すべてがそれを証明しているではないか。いつも彼は自分を女として見、女として扱って来た。
もっとも決定的なことは遠乗りの日の出来事である。菊千代が失禁だと思い誤った、あの着衣の汚れを彼はその眼で見た。まだ菊千代自身が気づかないうち、……うしろから、彼はそれを見たのである。そのときもらした彼の低い叫びも、菊千代の耳には残っている。
――生かしてはおけない、どうしても。