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きくちよしょう

菊千代抄

山本 周五郎

「週刊朝日春季増刊」朝日新聞社、1950(昭和25)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,178 字 · 72 页

青空文庫

――今日は呼びかけてやろう。

そう思うのであるが、三左衛門はひどく恐縮するようすで、いつもこちらを避けるように、ただ低頭して去るのがきまりだった。

三月になってまもなく、嵩間の城から使いがあり、父が訪ねて来た。供は十人ばかりだったが、駕が幾つも付いて来て、若い腰元が五人とその持物が運びこまれた。……このありさまを見ると、菊千代はすぐに別家の主税を思いだし、侮辱されたように肚が立った。彼女が直感したとおり主税は帰ってこちらの生活ぶりを父に話したらしく、「相変らず僧坊のようなくらしをしているというではないか、もっと気楽にしてはどうだ」

久方ぶりの対面に父はすぐこう云った。

「小さくとも館主となれば、これはこれで一城のあるじといえる、人間はその身分に応じた生き方をしなければならない、もう少し寛濶な気持になって、楽しむことは楽しんで生きなければ……あとで悔んでも若い日をとり戻すことはできないぞ」

菊千代は黙って聞いていた。世間で楽しみといわれている事は、江戸でたいていやってみた。けれども心から自分を慰め、楽しませて呉れたものはない。中山へ来たのは隠遁である。