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きくちよしょう

菊千代抄

山本 周五郎

「週刊朝日春季増刊」朝日新聞社、1950(昭和25)年4月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,178 字 · 72 页

青空文庫

暗くした燈火が横からさして、松尾の肥った頬の片面を静かな色に染めていた。髪に白髪が出たのだろう、鬢のところに幾筋かきらきらと光っているのが見える。菊千代は自分の頭がきれいに冴えて、憑きものでもおちたように、からだ全体が爽やかになっているのを感じた。

――ながいあいだせわをかけた。

気持のいい甘いような溜息が出る。松尾だけではない、幼いころからずいぶん多くの者に面倒をかけせわになった。庄吾満之助、椙村半三郎、別家の主税にも。……癇が立って薙刀で相手の腕を折ったことがある。あの少年はなんという名であったか。赤、かんぷりなどというあだ名の子もいた。けれども誰より好きなのは半三郎であった。……椙村半三郎、慥か側用人の二男であったが、美少年で、静かな性分で、思いやりがあって、……そこまで回想してきたとき、菊千代はぎゅっと眼をつむった。

――いやそんなことはない。

彼女は胸の上で両手を強く握った。ずっと昔、自分は半三郎を手にかけた。その手で押えつけて、短刀で二度、彼の胸を刺した。みにやった松尾は「おみごとにあそばした」と云ったのを覚えている。……葦屋を斬ろうとしたとき、前に立ち塞がったのは楯岡三左衛門であった。