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おちむしゃにっき

落武者日記

山本 周五郎

「講談雑誌」博文館、1941(昭和16)年4月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 11,460 字 · 23 页

青空文庫

「なにかおっしゃったように存じましたけれど、もしお苦しゅうございましたら……」

「なんでもないのです、ただ」

あなたが、死んだ妻のように思えたので、……そう云いかけて、口を噤んだ祐八郎のようすを見て、娘は去りかねたように、そっとそこへ坐った。

「お眠りなされませんのですか」

「ひどく疲れているのだが、眼が冴えて眠れないのです。……落人の身でこんな親切な御介抱を受けようとは思わなかった、まるで夢のような気持です」

「そんなにおっしゃっていただくと、かえって恥しゅうございますわ」

娘は健康な膝の上へ、肉付のみずみずしい手を重ねながら云った。

「まだ申上げませんでしたけれど、わたしに兄が一人ございますの」

「お兄さんが」

「それが三年まえ、大阪へ上って武士になるのだと申し、父やわたくしの諫めも肯かず家出を致しました。……こんどの関ヶ原の合戦に、もしや兄が加わっているのではないか、加わっているとすれば石田さまがたであろう、そしてあのお気の毒な敗け戦に遭って、生きて落ち延びることができたろうか、それとも討死をしてしまったか。……父も、わたくしも、その心配で夜も眠れませんでした……わたくしあなたさまを見ましたとき、すぐ石田さまがたのお侍だと存じました、そして」