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あざみ

薊

山本 周五郎

「小説新潮」新潮社、1959(昭和34)年1月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 15,800 字 · 32 页

青空文庫

銕太郎はその裏道から登った。登りきったところは松林で、台地の端を左へ廻ってゆくと、松とくぬぎの疎林があり、「古月亭」の屋根が見えた。彼は路地をはいってゆき、にじり口ではなく、玄関のほうへまわった。玄関には女の履物が二足あり、茶室の中はしんとして、人の声もなかった。履物の一つが妻の物であることを慥かめてから、銕太郎は奥へ呼びかけた。

「ゆきを、いるか」

茶室の中はしんとしたままで、戸外の松林のほうに小鳥の声が聞えた。

「ゆきを、おれだ」と彼はまた呼んだ、「急用があって来た、いるか」

すると奥で「はい」というかすかな返辞が聞え、人の動くけはいがした。銕太郎は刀を脱して右手に持ち、あがっていって襖をあけた。「古月亭」は数寄屋造りで、よりつきが六帖、控えが四帖半、そこに猿戸があって三帖の茶席に続いていた。――六帖には小さな包があるだけで、銕太郎はさらに四帖半の襖をあけた。(そのとき茶席へ通ずる猿戸が閉るのを彼は見た)ゆきをはそこに小掻巻を掛け、箱枕をして横になっていたが、その部屋は女の躰臭と香料との濃厚な匂いで、噎せるように感じられた。

「いまそこから」と彼は猿戸へ眼をやって訊いた、「誰か出ていったようだな」