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きょこうのはる

虚構の春

太宰 治

「文学界」1936(昭和11)年7月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 54,586 字 · 108 页

青空文庫

それであなたは朝や夕べに手洗をつかうことも誇るがいいでしょう。そういう精神が涵養されなかったために未だに日本新文学が傑作を生んでいない。あなたはもっと誇りを高く高くするがいい。永野喜美代。太宰治君。」

「わずかな興を覚えた時にも、彼はそれを確める為に大声を発して笑ってみた。ささやかな思い出に一滴の涙が眼がしらに浮ぶときにも、彼はここぞと鏡の前に飛んでゆき、自らの悲歎に暮れたる侘しき姿を、ほれぼれと眺めた。取るに足らぬ女性の嫉妬から、些かの掠り傷を受けても、彼は怨みの刃を受けたように得意になり、たかだか二万法の借金にも、彼は、(百万法の負債に苛責まれる天才の運命は悲惨なる哉。)などと傲語してみる。彼は偉大なのらくら者、悒鬱な野心家、華美な薄倖児である。彼を絶えず照した怠惰の青い太陽は、天が彼に賦与した才能の半ばを蒸発させ、蚕食した。巴里、若しくは日本高円寺の恐るべき生活の中に往々見出し得るこの種の『半偉人』の中でも、サミュエルは特に『失敗せる傑作』を書く男であった。彼は彼の制作よりも寧ろ彼の為人の裡に詩を輝かす病的、空想的の人物であった。未だ見ぬ太宰よ。